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 ただの兄弟だった、あの頃。


 *


「兄(あに)ぃは羨ましいな」
 北方騎馬民族が暮す草原と後漢王朝との境目にある集落で暮している少年・張汎は、軍馬の売買を生業としている父親の手伝いとして生まれたばかりの仔馬の世話をしていたのだが、どこかで拾ってきた木の棒を振り回しながら現れた弟・張遼が突然変な事を言ってきたのだ。
 この兄弟の祖父は北方騎馬民族である為、二人の容姿は黒い髪と眼を持つ漢民族とは違い、金色が混じった茶髪に緑の眼だった。この集落はよく北方騎馬民族とも交流しているので混血児が生まれるのは稀有な事では無い。
「羨ましいって、何が?」
 鼻を押し付けてくる仔馬をあしらいながら、返事をする。
「兄ぃはもうやる事がある事だよ。俺は嫡男じゃねぇから、どうしたらいいかわかんねぇんだよ」
「……もうそんな事を悩んでんのか。早くないか?」
 張遼は少し頬を膨らませると、持っている木の棒で土弄りを始めた。
「じゃあ、別に無理に此処から出て行こうとしないで一緒にこの仕事をやろう」
「それじゃあいつまでも兄ぃの世話になりっぱなしじゃないか。やだよそんなの」
「我が儘だな……」
 仔馬の世話を終え母親の元へ帰すと、張汎は弟の側に近付いた。張遼は土弄りを止める。
「別に今すぐ決める必要ないだろ、遼。焦ったって、何か良い事が思いつく訳じゃないんだから」
「……んー」
 何だか納得していない様子を見せると、張遼はその場から立ち去った。
 そんな弟の背中を見て、張汎はこっそり溜め息を吐いた。 容姿は似ているが、性格は異なる兄弟なのである。

「……やりたい事をやれば良いんだよ。遼は」
 思わずぽつりと呟いた言葉は、誰も聞いていなかった。


「兄ぃ、決めた」
 数日後、張遼がまたも突然言い出した。
「何が?」
「俺、武人になる」
「……は?」
 まさに、開いた口が塞がらない。一体どうしてそんな思考になったのか、本当に自分の弟かと疑いたくなるぐらい、全く理解出来ない。
「武人になる、って……なってどうするんだ?」
「わかんねぇ」
 てっきり強い意志でも芽生えたのかと思いきや、これである。思わずがっくりと肩を落としてしまう。
 そんな兄の様子を気にする事無く、張遼は話しを続ける。
「まぁけど、強くなって有名になるっていうのも悪くないだろ?」
「有名に、かぁ……なら本当に強くならないとな」
「どっちが早く有名になるか勝負しようぜ! 兄ぃは商人として、俺は武人としてさ」

 心底から面白がってる張遼の笑顔に釣られ、張汎もつい笑みを浮かべた。


 あの頃は、こんな風に笑い合う事が出来たのだ。


 *


 月日は流れ、後漢王朝は群雄割拠の時代へと姿を変えた。



「……もう、何もかも元に戻らない」
 深夜。立派な成人に成長した張汎は、私邸のとある部屋で寝台に腰掛け、独り言を呟いていた。
 だが寝台からは寝息が聞こえる。張汎では無い。では、一体誰か。
 寝台で躯を丸め、眠りについているのは──主であり親友だった男と、大切な仲間を目の前で亡くし、張汎が仕えている乱世の奸雄こと曹操に降ってきた、弟の張遼。

 彼の運命は、残酷であった。
 実家を出、武人として刺史を務めていた丁原に仕えたまでは良かったのだ。
 彼は時代の流れに翻弄され、本人の意志とは無関係に次々と主君を変える事になり、遂には悪鬼の化身とまで称された時の権力者・董卓の臣下にもなる。
 董卓のやる事全て苛烈そのもの。財源を得る為には、過去の皇帝の墓を掘り起こし副葬品を取り出し、大商人に罪を着させ財産を没収するという非道な行動も躊躇無く行った。

 その非道な出来事に、たまたま朝廷に軍馬を売りに来た張兄弟の父親も巻き込まれたのだ。

 張家は、全てを失った。

「…………」
 無言で、眠っている弟を見つめる張汎。どうやら眠れていないらしいのでこうして様子を見に来たのだが、今夜は大丈夫そうだ。

 正直言うと、張汎は董卓の悪事の手伝いをした張遼を憎んでいる。仕方がなかったとは言え、張家だけではなく、多くの人々を陥れたという事実がある。絶望に満ちた人々を多く見てきたから、それだけはわかった。
 憎しみの心は、簡単には消えやしない。
 だが、それと同時に──

「……兄者」
 張遼が目を覚ましたようだ。視線だけを張汎の方に向けている。
「どうした? まだ夜は明けてない」
「……復讐、しないのか?」
「…………」
 張遼は薄々気づいているのだ。──張汎が、兄が、自分を憎んでいると。
「俺はもう、どうなっても構わない。復讐したければ、すればいい」
「……曹操様からしばらくの間、お前の世話をするよう仰せつかっている。勝手な行動は出来ない」
「命令なんて関係無い。……兄者がそうしたければ」
「今日は部下達の調練をして疲れたのだろう。休め」
 張遼の言葉を最後まで聞きたくなく、逃げるように寝室から出て行った。
 背中に刺さる痛い視線を、どうにか無視して。



 未だにどう接して良いかわからない時がある。
 弟、なのに。

「……ふぅ」
 頭を冷やすべく井戸から水を汲み上げ、それで顔を洗った張汎。だいぶ気持ちがすっきり出来た。

『復讐したければ、すればいい』
 張遼の言葉が脳裏を過ぎる。
 降ってきた頃の張遼は、希望を無くしていた。これから、どうやって生きていけば良いかわからないくらいに。
 早く新しい生活に慣らす為、という名目で曹操は親族である張汎に、張遼の住居が出来るまで、という条件の元で面倒を見させる事にした──という訳なのだが、初めは上手く意思の疎通が出来ず喧嘩ばかりしていた。
 今でこそだいぶ落ち着き、張遼も新しい生活に慣れてきたようだ、が。

 まだ、笑顔を見れていない。

「……やはり、お前は弟なんだ。血の繋がった兄弟なんだ。遼」
 不意に力が抜け、その場に座りこんでしまう。
「どんなに憎くても……この混ざった血の事を真に理解出来るのは、お前しかいない」
 本人の前では絶対に言えない独り言を小声で言った途端、張汎は自嘲した。

「私も我が儘だ……。頑固で、どうしようもない……」


 茶髪に混じった金色が月の光に反射し、鈍く光る。



完



台詞有りで初登場しました張汎兄ちゃん。ここでは曹操に仕える文官の一人、という設定です。

[2012年 8月 21日]